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11/15 太陽はひとりぼっち(1962)

  • yasujihp
  • 11月7日
  • 読了時間: 3分
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  気がつけばハロウィンも静かに終わり、暖房を入れないと少し寒いかなと思うこのごろですが、みなさんいかがお過ごしですか。ぼやぼやしてると今年も終わりそうですが、来週は横浜の朝日カルチャーセンターで『太陽はひとりぼっち』(1962)のお話をしようと思います。


 監督はミケランジェロ・アントニオーニ。しばしば「愛の不毛」とか「コミュニケーションの不可能性」なんて言葉で語られ、とても難関な作品を撮る人だと思われていますが、いやいや、今見るととても面白いのです。昨年亡くなったアラン・ドロン(1935-2024)と、ぼくの大好きなモニカ・ヴィッティ(1931-2022)と共演しているのですが、ふたりとも若くて美しい。その若々しさと美しさをおいかけるカメラが、ふたりの生々しさをみごとにフィルムにおさめてくれている。まずはそんな映像を楽しむことから始めましょう。


 アラン・ドロンは、1960年にルネ・クレマンの『太陽がいっぱい』とヴィスコンティの『若者のすべて』で世界的に有名になったばかり。その後『山猫』(1964)のタンクレーディ役を演じるように、イタリア映画での活躍がめだつ時期の代表作のひとつが、この『太陽はひとりぼっち』。この邦題は『太陽がいっぱい』を連想させますが、原題は「L'eclisse」(日蝕)ですね。


 一方、モニカ・ヴィッティは『情事』(1960)でアントニオーニに見出されると、『夜』(1961)ではマストロヤンニとジャンニ・モロー、そして『太陽はひとりぼっち』(1962)、さらにはリチャード・ハリスと共演した『赤い砂漠』(1964)に出演。公私ともにアントニーニのディーヴァとして活躍するのですが、その後は『唇からナイフ』(1966)や『Plevere di stelle (星くず)』(1974)のようなコメディー映画に出演して多彩な才能を発揮します。


 さらにいえば、この『太陽はひとりぼっち』という作品は「保存すべき100本のイタリア映画」(1942年から1974年までに、イタリアの集合的記憶を変えた100本の作品)にも選出された名作なのです。

 

 パンフレットの紹介文は次のとおり::


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『太陽はひとりぼっち』(1962)


 イタリア映画の魅力をさぐる講座です。新学期からは「傑作・名作・古典を読み解く」と題して1本の映画を取り上げ、俳優の魅力、監督の意図、そして歴史的な背景を考えながら、作品の魅力をを掘り下げます。

 今回とりあげるのはミケランジェロ・アントニオーニ監督による『太陽はひとりぼっち』。これもまた「1942-1978年のイタリア映画における保存すべき100本作品」のひとつに選ばれた名作。主演はこのころイタリアで活躍していたアラン・ドロン。ドロンはルネ・クレマン『太陽がいっぱい』(1960)とヴィスコンティの『若者のすべて』に出演して世界的なスターとなったばかり。モニカ・ヴィッティはアントニオーニに『情事』(1960)で見出されると、つづく『夜』ではマストロヤンニとジャンヌ・モローと共演。主題歌にはミーナが歌う『Eclisse twist 』が印象的。「コミュニケーションの不可能性」を描いたと評判になったこの作品の面白さをさぐってみようと思います。


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お申し込みはこちらから(^^)/






 
 
 

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