横浜の朝日カルチャーセンターでは「イタリア映画の魅力をさぐる、 懐かしの俳優たち」と題してお話しさせていただいております。
今年の初めにジーナ・ロッロブリージダ、次にクラウディア・カルディナーレのことをご紹介してきましたが、この12月にはシルヴァーナ・マンガノ(1930-1989)を取り上げます。
日本ではマンガーノ(Mangano)と紹介されていたりしますが、アクセントは最初の a (Mangano)と呼ばれることのほうが多いようですね。
シルヴァーナ・マンガノはローマに生まれ。若い頃はマルチェッロ・マストロヤンニと同じ地区に住んでいてふたりは知り合いだったとか。魅力的な彼女にマストロヤンニはぞっこんだったといいます。
なにしろマンガノは美しい。だから、このころの女優さんのご多分にもれずミス・ローマに選ばれて注目を集めると、あの世界的にヒットした『苦い米』(1949)で本格的にデビュー。日本ではこの作品、イタリアのネオレアリズムとして紹介されたそうですが、当時の観客は芸術映画を見にゆくのだと言いながら、稲刈り娘となった彼女のホットパンツ姿を見に行ったようです。
たしかにラットゥアーダの『アンナ』(1951)っでマンボを踊る姿は圧倒的でした。しかし、彼女の魅力はそれだけではありません。モニチェッリの傑作喜劇『戦争/裸の兵隊』(1958)で演じた娼婦コスタンティーナをみれば、喜劇をやらせても見事なことがわかります。さらにはパゾリーニの『テオレマ』(1968)で演じたブルジョワの妻のアンニュイ。ヴィスコンティの『家族の肖像』(1974)の右翼の大物夫人の俗物ぶりと、ますます魅力を深めてゆくマンガノですが、ミハルコフの『黒い瞳』(1987)でマストロヤンニと共演すると、残念ながら1989年に59歳の若さで亡くなってしまいます。
美しいけれど、その微笑みにはどこか謎めいたところがある。もしかしたら、そのつかみどころのなさが、多くの巨匠を魅了し、わたしたちをスクリーンに釘付けにしたのかもしれません。
この年末にはそんなシリヴァーナ・マンガノの魅力をお話ししようと思います。
お申し込みはこちらから。
* * *
終わりました。おかげさまで楽しかったし、いろいろ発見がありました。備忘のためのブログがこちら。ご笑覧。
https://hgkmsn.hatenablog.com/entry/2023/12/10/122715
https://hgkmsn.hatenablog.com/entry/2023/12/11/001617