横浜の朝日カルチャーセンターでは「イタリア映画の魅力をさぐる、 懐かしの俳優たち」と題してお話しさせていただいております。先週はジーナ・ロッロブリージダについてのセミナー。「ああ、知っているよ、ロロブリジーダね」と言われると、いやいや、アクセントの位置が違う、ほんとうは「ロッロブリージダです」と返したくなるのだけど、そこはまあ一種の職業病ですね。
でもそれよりも、ロッロブリージダが写真家であったり彫刻家であったりしたことがあまり知られていない。そしてなによりも、戦後イタリアの「夢」(fantasia)を体現する人だっということも。前回はそんなお話もさせていただきました。
調べてみると、だんだんその人が見えてくるのです。ロッロブリージダについても、調べているなかで次々と明らかになったことが多い。きっとカルディナーレについても、そうなるはず。すでに知っていることと言えば、生まれはイタリアじゃなくてチュニジアということですね。両親はイタリア人なのですが、正確にはシチリアの人。だから母語はフランス語とシチリア語。イタリア語は勉強して覚えた言葉。いわゆる第二言語(L2)なのです。
だから最初の彼女のセリフはすべて吹き替え。でもやがて、自分の声で話すようになる。じぶんのパーソナリティを表に出すようになる。そこがクラウディア・カルディナーレの魅力であり、それゆえにメジャーな映画から干されるようになる。それが彼女の不幸になる。でもクラウディアがほんとうに不幸になることはない。最近のポートレートを見れば、フランスで楽しそうに暮らしている。
なるほど、そんな人だったのか。それが今回のセミナーの出発点。8月の末にお話しさせていただきます。ご関心のある方は、ぜひ。
以下、朝カルのリーフレットを引用しますね。(2023/8/26 15:30~17:00)
この講座ではイタリアを代表する俳優たちの姿を通して古き良き映画とその時代を振り返ります。今回取り上げるのはクラウディア・カルディナーレ(1938年生まれ)。イタリア人の両親のもとフランス保護領時代のチュニジアに生まれ、美人コンテストで認められイタリアで映画界入り。60年代にはフェリーニの『8 1/2』やヴィスコンティの『山猫』、コメンチーニの『ブーベの恋人』などで成功し、国際的にも活躍。しかし、その後のキャリアは決して平坦ではありませんでした。そんなカルディナーレの活躍を振り返りながら、女優としての魅力を考えてみようと思います。(講師記)
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