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ヴィスコンティとは誰だったのか(1)

更新日:2020年9月13日



6月からの予定でしたが、9月12日からの3回となりました。 第1回はこんな内容です。


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イタリア映画の名匠ルキノ・ヴィスコンティのことをお話しします。まずはその生い立ち。ミラノの名門貴族に生まれながら、なぜヴィスコンティは、芸術としてはまだ新しい映画の世界にあえて飛び込んだのでしょうか。その最初の作品『郵便配達は2度ベルを鳴らす』(1943年)はどのような時代に撮影されたのか。また、続くシチリア漁村を描いた『揺れる大地』(1948年)や、ローマのステージママの姿を追う『ベリッシマ』(1951年)などの作品で、ヴィスコンティは何を描こうとしたのでしょうか。「赤い貴族」とよばれた名匠ヴィスコンティの姿にせまりたいと思います。(講師・記)

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終了しました。

 ひさしぶりの対面式でしたが、フェイスカバーはどうにも嫌なので、結局はマスクをつけて喋ることに。ときどき息が苦しくなりましたが、それでもリモートとは違う高揚感に後押しされて言葉が出てくる感じがありましたね。  ここ2週間ほどは、ヴィスコンティを復習しながら、ずいぶん発見がありました。両親の出自と別居の話しが、彼の人生のなかでどんな意味をもった、今回はちょっと考えてしまいました。やっぱりヴィスコンティは、そのルーツがあって、その上ではじめて、どんな人であり、どんな選択を重ね、どうしてその作品、どうしてその方法で表現したか、そんなことが問われるわけです。

 もちろん、そんなことを考えなくても、作品は作品として楽しめば良いというのもあります。それでも、デビュー作の『郵便配達は2度ベルを鳴らす』のオープニングシーンで、マッシモ・ジロッティがクララ・カラマーイのトラットリアに入ってくるところなんて、それまで35年のヴィスコンティ人生が反映しているように読めてしまうし、そう読むことの楽しみというのも、あるのだと思います。  今回の最後に話したそのシーンでは、撮影の細かいカット割や流れもさることながら、ふたつの音楽の引用がとても興味深い。見直しながら初めて気がついたのですけれど、最初におぼつかないピアノの調べで、ヴェルディは『椿姫』(1853年)の「プロヴァンスの海と土」の旋律が流れてきて、次に当時の流行歌の『フィオリン・フィオレッリ』(1939年、ヴィットリオ・マスケローニ作曲、ペッピーノ・メンデス作詞)を歌うカラマーイの声が聞こえてきます。何の違和感もなく重なりながら、肩や無闇な恋に落ちたものを呼び戻そうとする歌であり、肩や恋に落ちる気持ちを歌うもの。意味としては正反対のベクトルを持ちながらも、高揚する気持ちがやがて破局を招くまでにいたる「盛衰」あるいは、必然的な「没落」が、ヴィスコンティのデビュー作冒頭からは示されているように思えてなりません。

 それはミラノの名門出身貴族でありながら、共産党支持を表明して冠せられた「赤い貴族」という、あのバロック的な形容詞に似ています。それは、相矛盾するもののなかに置かれた人間が、それでも生きようとする力のありようなのかもしれません。生まれてきたからには、その場所に生きることを引き受け、苦しみと喜びのあいだで、やがては衰え退場してゆく。そんな人間の真実に、映画や演劇やオペラを通して、迫ろうとしたように思います。

 人間の真実とは、結局のところ生と死のあいだにあって一瞬の輝きを放つもの。それを「自由への希求」と呼ぶならば、「生まれるのも死ぬのも大変だけど、たぶん死ぬ方が楽だ」と語るときのヴィスコンティが、生涯をかけその実存主義の旗として掲げるものなのかもしれません。

 次回は12月です。

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